社会人7年目による、生活録。小売、販売、読書、酒、文房具、ファッション、失敗談など

平凡なサラリーマンが何を考え、どういう悩みを経て、どういう行動を起こしていくのかをつづります。人生の意味が分からない人。生きづらさを感じている人。自分が何が好きかわからない人。そんな人に、同じような考えの人は世の中にいますよと伝えたい。(記事内容はあくまで個人の見解です)

退職を考えたら

退職を強く考えました。

 

なんとなく就職してしまったのがそもそも悪いので自業自得です

 

負のオーラ満載です。

原因となる人物にどのような爪痕を残して退職してやろうか、と危ない思想が頭の中を埋め尽くしています。

感情に支配されてしまっています。

 

しかし、退職をした場合のリスクを調べていくうちに、現状が恵まれているとの思うようになり、

 

でも、恵まれているとはいえ、自分が、ムリだと感じたのなら、そこから逃げるのは正しいとも思う

 

少なくとも、突発的に辞める年齢ではないのかもしれない、

でも辞め方で人生における負債を作ってしまい、

今後に悪影響が出るのならば、

もし、

 

今の負担 ≦ 今後の負担

 

となるのならば、

 

冷静に考えて、在職し続けるほうがいいし、自分の頑張り方を貫くのは止めて、

他人の目を気にするのは止めて、

評価が気に入らなくても抗うことなく、

のらりくらり適応して、降格しない程度に、適当にこなせばいいだろうし、

退職までいかなくても、配置転換をお願いしてみる事だってできる。

 

他人の目を気にせず、

他人の評価を追わず、

自分を信じ、

自分を大事にし、

自分の感情を大事にし、

 

。。。こういう生き方が出来れば変われるのだろうか

 

思えば、

 

自分は、自分の事が嫌いなのだろうか、

いや恐らく、十中八九そうなのだろう。

最近確信に変わりつつある。

 

頑張っている時や、結果を出している時の自分しか認められない

そうでない時の自分はキライで、価値がないと奥底で思っている

 

だから、家でこもっている時はとんでもない罪悪感と自己嫌悪

だから、妻ともうまく接することができない

 

ゲームしてる時は妻の顔色を見てしまうし(何も言わず暖かく見守ってくれるのに)

趣味に打ち込む時も妻の顔色を見てしまう(何も言わず暖かく見守ってくれるのに)

 

思えば高校受験失敗した時に、このクセ?考え方が付いてしまったのだろうか

そう思う。

 

あの時は父親に殴られ、母親に泣かれ、

居場所がなく、帰宅したくなかったので古本屋に通い、時間をつぶす日々。

隠れて深夜にゲームをして脳みそをダマす日々

 

思えばあそこで自分は失敗したのだ、ダメなのだ、とレッテル・呪いを貼ったような気がする。

その後、大学受験も小論文を書いて受験した程度で大して努力したとは言えず、

私立に行かせてもらい、「ごくつぶし」だとの自覚がさらに強くなったのだろう、

 

だから、格闘技などという、今までの自分の特性とは全く異なる分野に打ち込み、

自分が生きていて良いという証明を心の奥底では求めていたのだろう

今になって振り返ってみると、自分をダマし、心の声に耳を傾けていなかっただけで、

常に自分を許すための材料を確保するために自分に課していたものがあったのだろう

無自覚に。

 

そんなだから、

 

必死や、

努力が、

 

他人にキバを向く時があるのかもしれない

 

ではどうすれば自分を許せるのだろう

どうすれば自分の価値を認められるのだろう

 

大会で優勝した時?

仕事で成果を上げた時?

昇進した時?

 

でもこれって、、、キリがあるのだろうか

もっと適当に生きている人はいるのではないか?

もっと意識の低い人はいるのではないか?

 

こういう自分を許せないスタンスが、仕事やコミュニケーションに出ていて、

それを周囲の人間は、まじめすぎ。

と形容するのだろうか?

 

どうすればいい?

 

わからない。